2009年07月25日

美輪明宏、江原啓之を語る


美輪:こんにちは美輪明宏でございます。
江原さんについては、話すと長くなります。そうですね。奈良時代からのお話であります(会場笑い)。

とてもこの時間ではお話できません。

最初にお会いしたのが、霊界のセールスマン、丹波哲郎さんのお屋敷です。

私は全国で道場破りをしているんですよ。易者とか超能力者とか。大体99パーセントは怪しげな方(インチキ)です。

でも、江原さんは数少ない本物です。それからお付き合いさせていただいております。

ある日江原さんとの番組で、ゲストが出演されたとき、周りについている霊の数が中途半端ではなかったんですよ。その霊の方たちがそのゲストに「ワー」と文句を言っているわけ。

江原さんは正直な方だから、それを言おうとするのだけど、番組の都合上やゲストはお客様だから恥を書かせるわけにはいきません。

なだめて。すかして。その場を取り繕ったわけです。でも、江原さん、溜まっていらっしゃるから、寝室のベッドの上で、横になって足をバタバタさせ「美輪明宏のバカヤロー!」と言っているのが、霊視で見えたわけです。

見えたわけで、夜中ですけど、江原さんに電話しました。


「何か御用?」と言ったら。江原さん「ひぃー!」って(会場笑い)。

そういう事がお互いにあるんですよ。

ヒデちゃんも、愛ちゃん(飯島愛)ちゃんも、いろいろ見透かされたと思いますよ。

江原さんは、油断ならない人物ですね。

江原:美輪さんからいきなり電話かかってきてね。「何でそんなに機嫌が悪いの?」ときました。

パルコ劇場で音楽界をやっていてね。そこへお邪魔したとき、「フン、ここしばらくは穏やかでいいわね」。で、それ的中なわけ。

中山秀:江原さんも美輪さんがどう思っているかわかるわけですよね。


江原:美輪さんに私が言っても、全然動じないんですよ。
「さすがね」と一言。

私の意見<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<

「易者とか超能力者とか。大体99パーセントは怪しげな方(インチキ)です」と美輪さんが言っていましたが、同感です。

霊能力者の大半は霊能力はないです。まだ気がついていない人たちが大勢いるのですが、彼らはビジネスとして、霊能力者、スピリチュアリストをやっているわけです。

また、「霊が話しかけてくる」「宇宙人が交信してくる」といった統合失調症による知覚の障害を抱える、日本での患者数は約734,000人もいます。

霊能力があるにしても、悪霊しか見えない。あるとしても、当人が霊的に低すぎて善霊と波長が全く合わない。悪霊の言うことを翻訳しているだけの人たちもいます。

こういう人たちが宗教団体を作るケースがよくあります。大衆のレベルに合致しているので、絶大な共感(人気)を呼びやすいです。


私も、江原さんに関しては、数少ない本物だと思います。言っている事の本質が、英国の心霊主義(シルバーバーチ系)の基本からずれないんですよね。これは、その種の知識や求道の志がある人なら分かる事柄です。また、個々にするアドバイスも守護霊たちの発言も霊的な側面から非常に整合性がある。

ただし、霊的な能力があることと、その人物が優れているかとは全く関係ありませんよ。そこの部分を混同している人が多すぎます。

霊能力があろうが、霊的に低い人は山ほどいます。霊能力は、大食いのような特殊能力だと思って、いただいて結構です。

霊能力は遺伝する傾向があります。欝や精神的な病も遺伝するというように、生まれつき、霊を感知しやすい脳を持つ人たちがいるわけですよ。霊能力があるからと言って、必要以上に尊敬したり、ましてや崇拝の対象とするべきではないわけです。


霊能力なら、人間よりも犬の方があるでしょう。犬が何もないところに向かって、吠えているのは霊に向かってなわけです。でも、犬は人間よりも劣るわけで、霊能力を持って優劣の判断と出来ないことはお分かりかと思います。

江原さんに関しては、至って普通の方。善人です。彼に匹敵するだけの霊能力を持つ人はまれです。最近バッシングや火のないところから煙が立ってきたり、彼が出たために、便乗してくる詐欺師たちが多いため、ある種の規制が加わっているのでしょう。そんな気がします。

江原さんについてですが、100パーセント完璧ではないですよ。霊現象は口にするのが難しい。霊の次元の物質を人間の脳に翻訳するのは非常に難しいわけです。今日見た夢の内容を説明しろと言われても、「確かに体験したが、口で説明するのは難しい」そんな感じです。

彼の場合、基本は素晴らしいのですが、自己に甘い傾向が若干感じられます。太るの現象は、自己への甘えを暗示している気がします。



美輪さんに関しては、複雑ですね。霊媒体質なのは、分かります。霊が見えているときと見えないときがあると思いますが、見えているときはおそらく、霊と感応しています。その時々によって、降りてくる霊たちの差が激しいと感じざるを得ないのです。

美輪語録と言えるような、素晴らしい発言をしているときの霊との感応は非常に高貴なのですが、宗教がかった事を言うと、なぜか落ちる。美輪さんが、特定の経典に執着している思想の本質を見抜けないのは残念に思っています。


美輪語録を発言している際の素敵な美輪さんと、執着の美輪さんとのギャップがあまりに激しすぎて、時々、この人美輪さんだろうか? と戸惑います。熱狂しやすいのは、前世からの因縁で、宗教で人を熱狂させる因縁を引きずっているのでしょう。


ただ、今世では、特定の宗教のみが絶対と言うような愚かさは流石に卒業されています。でも、美輪さんが言うように、呪文を唱えれば、それでよくなるといった、宗教的な事柄に関しては、ただの執着と捉えた方がいいでしょう。彼に真の求道心があれば、展開はガラっと違っていたでしょうが・・・。


美輪さんに関しては、言いたい事が多々あるわけで・・・。私の場合、大勢の人がその風貌や霊能力、芸能活動から凄い凄い。と思っている視点とは別の側面から見ているわけです。たしかに、非常に尊敬に値するし、向上心の高い方だと思います。本当に過酷な人生を過ごされて、頭が上がらない思いがあります。

でも言わせてもらいますと、彼は、聖者ではありません。いたって普通の方です。それ以上ではありません。彼は、自分や周りが思っているほど霊的に高くはないと思います。愛情にあふれているのですが、我(執着)がとても強い印象です。彼の我の強さは、彼が怒りを制御できなくなったときに垣間見ることができます。

特に外見的な執着を強烈に抱えているので、美的でない外見で転生した場合。人より劣っている外見、醜い外見で転生した場合。彼は、それに耐えられないでしょう。今の彼なら、そういう転生をした場合、低い点数の生涯を送ってしまう可能性が高いと私は、見ています。

無論、霊的に高い人はどのような転生でも高得点を出していきます。


本当に凄い人は、基本的に凄いと思われるような格好をしたがりません。周りを見渡せば1人や2人思い出す人がいるかもしれませんが、凄くない人に限って凄い格好をしたがります。彼が、目立つ格好や衣装を着たがる心理的背景には彼の虚栄心も少なからず影響しているわけです。


江原さん応援ブログ的な側面から、親和性の高い美輪さんをあれこれ言うべきではないので、最小限にとどめておきます・・・。実は、それこそ山ほどあるのですが、これを全て書くと、皆さんから嫌われてしまいますので(笑)。

彼の欠点でとくに挙げられるのが、思い込みが激しい部分です。頑固なので、こうと決めたら、彼を説得するのは難しいでしょう。

例えば、美輪さんは、原色系を着たほうが言いと言います。とにかく明るい色を着ろと。が、必ずしもそうではないわけです。何故、そう言うかといったら、美輪さんが、そこに執着を持っているからですよ。

視点を変えると、他人のことなどお構いなしのような、外交的暴君は、派手な衣装を着たら、周りの迷惑です。こういう人は、内に向かうような抑え目な服を着たほうが性格が静まり、周りのためになることもあるわけです。

私を含め、どんな人でもそうですが、完璧な人はいないので、言うことをそのまま鵜呑みにするのではなく、とにかく、じっくり考えたほうがいいです。

きついことを言うようですが、言われたことを疑わず、何でも信じるような人は、霊的なことに興味を持つのを一切辞めて、日常に専念されたほうがいいでしょう。そういう人は、もう既に誰かに騙されていたり、ご利益系のくだらない宗教に騙される可能性が非常に高いです。信じるのではなく「利用する」。この発想をオススメします。



美輪さんは、「題目は凄い」と大勢に題目を奨めています。

すべからく宗教的行為。九字、十字を切る行為、経典、題目はもちろん、お辞儀、礼拝といった日常生活の行為に至るまで、太古の昔から、それを信じ、行じてきた人たちの膨大な念が染み付いています。

実際に十字を切ったり、題目、経典を唱えてみれば、感の優れた方はお分かりのように、特殊な感覚が生じてきます。そういう念を発した人たちの霊や意識と感応するわけです。

物質的に言えば、集合無意識に刻まれた過去の人々の記憶に我々の脳が反応しているだけです。

それら行為には、本来執着するべきではないのです。例としてあげると、コマネチを聖なる行為として、大勢行えば、1000年後コマネチを聖なる行為として、我々は感じるでしょう。荒削りですが、これが本質です。行為そのものに意味はないのです。それに我々がどう評価してきたかです。
その経典や題目、宗教的行為によって生じる効果=そのものの本質的価値ではないわけです。


キリスト教や仏教は本来、偶像崇拝は否定してきました。

仏教をきちんと勉強された方でしたら、常識ですが、特定の仏像や経典に執着するのも、題目も仏教では本来否定されるべきことなのです。

でも、経典を唱えて、それで幸せな人というのは、世の中にいます。偶像がきっかけで、精神的なことに興味を持つ人もいます。

それで、心が穏やかになる人もいます。それを私は否定しません。人によっては、経典を唱えれば、精神的な助力も得られる。精神的な満足も得られる。事実でしょう。でも、それは、経典自体の力ではないということです。崇拝の対象とするのではなく、道具として扱うべきことなのです。

ちなみに、大乗仏教経典は、釈迦が死んでから約600年後に作られたものです。でも、全ての大乗仏教経典は、釈迦の発言とされているわけです。経典の制作年代に、600年の隔たりがある。ここに、大きな矛盾があります。

釈迦死後、600年も後に作られた経典なら、釈迦唯一絶対の経典というのは、ちょっと疑問だな。と誰しも思うでしょう。といいますか、大乗経典以前にスッパニパータやダンマパダといった釈迦在世時に近い経典がそれこそ、山のようにあるわけで、何故わざわざ、唯一絶対と言う「必要があるのか」疑問に思うわけです。

一言で言うと「これ執着以外の何者でもありません」。執着とは、何かに絶対性を投影することから生じます。仏教の基本概念「無常(物事には絶対性はない)」と正反対の「絶対性を持つ概念」を教義に加えたとしたら、それこそ仏教なのか何なのかワケがわかりませんよ。本末転倒もいいところです・・・。


しかしながら、論理矛盾を知ろうが知るまいが、経典として唱えれば、題目を唱えれば、精神が落ち着きます。特殊な感覚が得られます。人によっては、暗示として功徳のようなものがあるかも知れません。

もっとも、それは、経典に向けられた無数の念による作用であって、経典の価値とは一切関係ないことです。一種の陥穽ですね。ここの部分を分かる人はそういません。私は、実際に効果を認めた上で、それに疑問符を投げかけます。

本当にハマった信者は、カルト宗教だろうが、奇跡的な体験を作り出していきます。そうなったらもう抜けだせません。題目や宗教団体が凄いのではなく、あなたの念や欲望、執着が凄い。そういうわけです。


無論、経典を唱える場合、特定の団体に属さなくても、いいです。経典に絶対性を置いているクセに経典を唱えるにあたって、特定の団体に属さなければいけないと言うのは、明らかに変なわけです。

しかしながら、教団は自分の団体じゃないと経典は価値を持たないと言います。経典よりも自分の団体の価値を上に置いているわけです。さりげなく、経典を愚弄しているわけです。もっとも教団に属さないと金が入ってこないからそう言うだけでしょう(笑)。


そういったカラクリがわかれば、信者が信者なのにも理由があることが理解できると思います。どんな宗教でも、経典を唱えれば、経典を唱え続けてきた大昔からの人たちの念が作用します。神秘体験やトランス状態が起こりやすくなります。
同じ言葉を何度も繰り返す題目は特に心理学上、トランス状態になりやすいです。嘘だと思うのでしたら、どんな言葉でもいいですが、同じ言葉を100度連続で唱えてみてください。それがトランス状態です。


経典に執着する系の仏教は、仏教的に見て問題と矛盾を抱えていることが多いのです。よく考えてください。執着=何かに絶対性を見出すです。当人が、絶対だと思うものが、否定されると、感情的になる。それは絶対に執着しているからです。執着、煩悩を消し去るのが仏教だったはずです。特定の経典を否定されただけで、感情的になる時点で、仏教とは異質な違和感をその団体に感じるわけです。


嘆かわしいのですが、日本にある大半の仏教が、幻想を夢見たり、煩悩を満たすための代物となってしまいました。

本来の仏教は、執着を絶つために「無我無常」を説き、物事の絶対性を否定していきます。


勘違いして欲しくないのは、経典を唱えることは、全く問題ないでしょう。いや、精神的に大きな助けになります。ご利益を求めて唱える人には、一言「大概にして欲しい」ですが・・・。

経典を唱えるにしても、特定の宗教や経典こそ絶対。と言い出しては、駄目です。物事に下す絶対といった判断は、現実と乖離した思考形態を作り出します。

現実と乖離した思考は執着を生み出し、執着を乖離させるための霊的な法則が当人に働きます。つまり、執着を絶つための苦しみが後々、生じるわけです。

執着を絶つ理由ですか? 誤解を承知で言うと、我々がこの世に生まれてきた理由の1つは、我々の存在を輪廻転生の因果律から、消滅させることにあります。仏教には解脱という概念があり、仏教徒は本来、それを目指しています。そのためには、我々はこの世的な執着を絶つ必要があるわけです。

執着を絶つといっても、愛情は格段に増します。執着と言うのは、肉体なわけです。執着を絶つとは、肉体を制御すると言い換えた方がいいですね。


↑話し変りますけど、宮崎哲弥という人はいいですね。本当に仏教をよくご理解されている。


↓ポチっとお願いします
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ



【美輪明宏の最新記事】
posted by 江原啓之ファン at 09:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 美輪明宏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/124218452
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック